ねこさかな日記

わたしの人生の備忘録。成長日記。

強くなるために、弱い自分を愛してあげること

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お久しぶりです。

3月に日本に戻ってきて、うつになりかけながら気合いで通っていた大学に勇気を出して戻り、なんとか春学期が終わり、夏休みは旅行をたくさんして健やかに過ごし、ついに秋学期が始まったところです。

やっと落ち着いてきたと思うので、ブログを再開したいなと思っています。

 

帰国直後の3月から6月くらいまでの間は、自分の理想に最高に近い環境・職種で働くオファーをもらったり、それが諸事情でダメになったり、新しいバイトを始めて色々な人に出会ったり、恋愛でいろいろなことが重なったり、それはもう色々なことが起きて、落ち込んだり考えたり悩んだり、とっても忙しくしていました。

色々なことが起こる中で、自分の生きる目的は何なのか、何を成し遂げてどんな人生を歩みたいのか、どんな人になってどんな気持ちでいたいのか、そしてその実現のためにどんな人と一緒に過ごしたいのか、今まで以上に深く深く考え、自分なりの答えを出すことのできた、とても濃い3か月だったような。気がしています。

 

わたしは今までどんな人間関係においても、他人に迷惑をかけること、他人に何かを「やってもらう」ことが嫌でした。というか、正直今でも嫌です。

要は、「自分の無能さ・格好悪さ・甘さ」が嫌で嫌で仕方なくて、受け入れられなくて、それが他人にさらけ出されることなんてとてもじゃないけど耐えられないのでした。だから、どんなにつらくても、苦しくても、目の前にいる人がパートナーでも、「全力で頑張ったけどダメだった」「もうこれ以上頑張りたいと思えない」とは口には出せなかったのでした。

そして、そうやって自分の格好悪いところばかりを隠しているような自分を俯瞰して、ずっと、どこか後ろめたい感覚を持っていたのでした。

 

オーストラリアで過ごした半年間の中で、その人たちの生き方に触れて、「あ、人生って純粋に、楽しむためにあるんだ」と突然気付かされたタイミングがありました。

そして同時に、「人生=社会に貢献する存在になるために日々鍛錬を積み、成長し、壁を乗り越え続けないといけない」と無意識のうちに自分を縛って苦しくしてしまっていたことに気が付きました。

だから、両親をはじめとしたたくさんの人たちに迷惑や心配をかけながら大学に行かないといけなくて、なのにそれでもなかなか上手くいかない状況が、苦しくて苦しくてたまらなかったんだろうな。学校に行きたいのに行けない自分や、本当は大学に行く意味を見出せず頑張りたいと思えていない自分を受け入れることもできず、ただ「そうでないといけない」という縛りを自分の力で解くこともできず。

 

今思うことは、わたしはわたしの好きなように人生を送っていいということ。

たまには判断を間違ったり、苦手なものから逃げたり、頑張ることをやめたり、誰かに迷惑をかけることだってあって、そんな弱いわたしでもいいということ。

そんなことがあってもわたしは自分の人生を楽しむ権利があって、それは自分で自分を縛りさえしなければ、他の誰にも侵されることがないということ。

誰にも否定されないし、否定する人がいたとしてもそんなものは気に留めなくてもいいということ。

 

弱くてダメな自分にもOKを出してあげる力はとっても大切で、健やかに楽しく過ごすために必ず必要になってくる力なんだろうなと思います。つまるところこれは所謂自己肯定感なのだろうと思うけれど、わたしは本当にそれが足りていなかったのだな、と。

 

今は、頭の中でそう思っていてもそう感じることができないことも多くて、助けてくれようとしている人から距離を置こうとしてしまったり、「こんなわたしに休日を楽しむ資格なんてない」みたいな気持ちになったりすることも多いのだけれど、一歩ずつこの、自分で自分にかけた呪いみたいなものを解いていけたらいいなぁ。

 

「こうすべき、こうあるべき」じゃなくて、「自分がどうしたいのか」、慣れないうちはいちいち自問自答しながら、自分の気持ちにまっすぐになれる秋学期になるといいな。頑張ります。あくまで楽しく!

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